宮城県石巻市 高砂長寿味噌本舗「希望の味噌」

私ども高砂長寿味噌本舗は、石巻の地で、明治35年に創業をしました。

石巻は、日本有数の漁場として、水産加工業が盛んな港町でしたが、

その加工会社の作る「みそ煮」「みそ漬」のほとんどに、私たち高砂長寿味噌本舗の味噌が使われています。

魚の旨味を引き出す味わい、魚の臭みを消すマスキング効果など、

「高砂さんの味噌でないと美味しい商品が作れない。」と、多くの方々にご愛用頂いてまいりました。

原材料には全て国産の素材を使用し、

一般的な味噌蔵では、大豆に米麹を加え発酵させて味噌を作りますが、

私たちは米麹と大豆を発酵させた大豆麹を加えて味噌を作っています。

手間はかかりますが、そうすることで大豆の甘みやコクのある美味しい味噌が出来上がるのです。

味噌の品評会に出品する味噌は、そのほとんどが大豆麹を使って作られています。

 

3月11日、あの大地震は、巨大な津波と共に、石巻を一瞬のうちに飲み込んでいきました。

私は津波から逃げている途中で、津波に追いつかれ、近くの民家の塀によじ登って、津波が引くのを待ちました

グングンと水位を増す津波の勢いに、とても生きた心地がしませんでした。

塀の上で避難している間に、地震で先に帰した社員たちが、車ごと流されてくるのに遭遇しました。

彼らを助け上げ、みんなで塀の上で数時間を過ごしました。

夜になると、そこは一切の光も音もない世界となり

さらには雪が降ってきて、気温も急速に下がり、寒さに耐えながらの苛酷な環境となりましたが、

みんなでなんとか乗り越えました。

幸いにも社員は全員無事でしたが、3名の社員が最愛なるご家族を失うことになり、

自宅が津波で流出してしまった社員もかなりおりました。

津波が引いた後は、4日間ほど、工場近くの渡波小学校に避難をしました。

沿岸部の避難所はことごとく津波に飲まれており、渡波小学校には1,000人以上の避難民が集まりました。

避難所といっても1階は水没しており、みんなで、2階と3階に、1部屋に80名以上も人が集まり、生活をしました。

避難所で4日間過ごした後、一緒に避難していた社員18名と津波の引いた渡波の工場に戻りました。

家のなくなった社員を工場の2階に住まわせ、生活すること1ヶ月半。

電気・ガス・水道が復旧していなかったためお風呂にも入れず、電気がないので、

夜の防犯も一緒に住んでいた社員達と持ち回りました。

 

この1ヶ月半もの間、車は津波で流され、電鉄も動いておらず、

また携帯電話も復旧していなかったために、周囲の状況を知ることが出来ずに孤立し、本当に絶望感を味わいました。

 

支援物資が来るまでは、工場直売店にあった味噌や、味噌を使ったお菓子などを食べて凌ぎましたが、

しばらく経つと、自社の味噌を使ってくれているお取引先の方々から、支援物資がどんどん届くようになりました。

それらには、必ず応援のメッセージが添えられており、見るたびに、涙が頬をつたいました。

「自分たちの味噌を待ってくれている人がいる。」、

このことが自分たちに再起の勇気と希望を与えてくれました。

津波が押し寄せた渡波の醤油工場は、津波による被害で、完全に操業が不能な状態となりましたが、

東松島にあった味噌工場は高台にあったため、最小限の被害で済みました。

 

再起に向けて、工場内の片付け、整備を行い、味噌工場が再操業できのが、ゴールデンウィークの頃。

この工場にあった在庫の味噌などで、避難所に炊き出しを行いました。

避難をされている方々の笑顔に、自分自身も非常に心を温められました。

醤油工場も、パイプの入れ替え、各所の整備などで、

地震発生から3ヶ月、6月下旬には、少しずつ醤油の製造を再開するまでにこぎつけました。

震災前の製造状態に戻すのはなかなか難しいですが、大きな一歩となりました。 

そして、6月25日には、味噌工場敷地内で、

同じ石巻の「希望の缶詰」で復興を目指す「木の屋石巻水産」さんと一緒に直売イベントを開催することができました。

震災前には毎月実施していたイベントでしたが、

3ヶ月ぶりの開催となるこの日も、本当に多くのお客様に集まっていただき、

地元のお客様に復興を応援していただくことができました。本当にありがたいことです。

仮設住宅の方たちには、自社の味噌を使った「味噌やきそば」を提供しました。

この麺には、同じ石巻で復興を目指す「希望の石巻焼きそば」の「島金商店」さんの麺を使いました。

7月9日には、2度目の直売イベントを開催。

この時には、仮設住宅の方たちに、地元の米粉麺を使った「冷やしうどん」を振る舞いました。

このつゆには、同じく石巻の「丸平かつおぶし」さんの「希望のかつおぶし」を原料とした「だしつゆ」を使いました。

6月下旬に、なんとか製造を再開させることのできた自社の醤油工場で製造した「だしつゆ」です。

自分たちだけでは出来ないことも、被災企業同士、力を合わせれば出来ることがたくさんあります。

これからも復興に向けて、共に歩みを続けていきたいと思います。