宮城県石巻市 丸平かつおぶし「感謝シリーズ」


震災後、当初は「かつおぶししか生産できないのに、このまま復興を続けていけるのか…」と悩みました。
しかし、多くのお客様の応援のおかげで、たくさんのかつおぶしをご注文いただき、
従業員も呼び戻して、毎日かつおぶしを作ることができています。本当にありがたいことです。
こんな状況の中でも、仕事がある、商品を待っているお客様がいらっしゃる、
ということは復興を目指す私たちにとって大変大きな励みとなりました。

石巻市門脇町にある会社周辺も、かなり落ち着きを取り戻しました。
瓦礫はほぼ全て撤去され、倒壊した家屋も解体されています。陸に乗り上げた漁船も解体されてなくなりました。
9月頃までは、全国各地の警察官が応援に来てくださり、信号機のついていない交差点で手旗信号で交通誘導をしてくださいました。
夏の凄まじい暑さの中でも過酷な状況に耐え、手旗の交通誘導を続けてくれた彼らの姿に、自分たちも非常に励まされました。
10月に入り、信号がほぼ全面的に復旧し、各地の警察官の方たちが帰られたときには寂しさを覚えたものです。
長い間、本当にありがとうございました。

8月26日、27日には、震災前に直売店を出店していた梅屋敷商店街でお祭りが開催され、商店街の方たちにご招待をいただきました。
震災後に寄せ書きをくださった皆様、久しぶりにお会いする常連のお客様や商店街のお店の仲間達から、
多くの励ましの言葉を頂き、終始目頭が熱くなっておりました。

本当に、多くの方々のお力添えのおかげで、私たち、丸平かつおぶしは復興を進めることが出来ています。

魚町にあった原料倉庫では、腐敗した原料の廃棄が終わり、12月には新しい冷凍庫の建設が完了しました。
魚町は市の再建計画で、従来どおり、水産加工団地として再建することが決まったため、
まずは、魚町の原料倉庫を修復し、かつおぶしや漬け魚の原料を保管できるようにしました。
水産加工業者としては欠かすことの出来ない、大きな第一歩です。

一方で、復興を進めていくには、まだ多くの課題が残されているのが現状です。
会社は、被害の甚大だった北上川沿いにあります。
地盤沈下の影響で、未だ高潮のたびに冠水するため、会社の前には、毎日のように海水が溢れ出てきます。
9月の台風15号上陸の際には、日本全体で非常に大きな被害がありましたが、こちらでは石巻沿岸部のほとんどが冠水しました。
会社の一階には水が流れ込み、あの津波の襲来を思い出させる光景に、冷や汗が止まりませんでした。

11月には、石巻市から被災地域の復興素案が出ました。
その素案では、会社のある門脇町は緑地化が計画され、私たちの会社は退去しなければならない計画となっていました。
被害の大きかった場所だけに、会社のある地域がどのような再建計画になるのか全くわからず、
一階部分の修復工事も中止し、この計画の発表を歯痒い状態でずっと待っていましたが、
創業の地を離れたくないという想いから、地域の人たちを集めて、住み慣れた土地を離れなくても良いよう、
皆で石巻市の担当者と協議を重ねました。
その結果、緑地化計画は改定され、大半の人達が門脇町を離れなくても良いようになりました。
会社は、現在の場所で再開しても良いことになり、復興を進める意欲が沸いてきました。

自分たちのできることを精一杯続けていきながら「丸平かつおぶし」の再建を目指そうと、今は商品開発に力を入れています。
現在できる唯一の「かつおぶしの製造」の中で、もっと美味しい物をお客様にお届けできるように、
皆で知恵を出し合い完成したのが「石巻丸平感謝のだし粉」です。

震災から一年が経った2012年5月。年明けから始めていた一階部分の修復がようやくひと段落つきました。
魚の下処理ができるように、床の水捌け塗装の塗り直しや、津波で壊れてしまった機械を新しく調達したり、当初の予定よりも長くかかりましたが、何とか干物の生産を再開できるようになりました。

震災が起こってから1年と数ヶ月の間、従業員は触りたくても魚に触り、加工することはできませんでした。
まだ試作ではありますが、魚の加工を再び開始できたとき、従業員みな笑顔でいっぱいでした。

これまで、ずっと暗いトンネルの中を歩いており、多くの人たちのご支援を頂くたびに、明かりがポツポツと灯るような状態でした。
しかし、魚の加工を一部ではありますが再開できたことは、一気に大きな明かりが灯ったような、
ゴールである出口の明かりがちらりと見えたような、そんな感じでした。