宮城県石巻市 さんりくフーズ「希望の三陸乾物」


宮城県石巻市湊地区。
テレビでご覧になった方もいるかもしれません。
海岸からわずか1kmしか離れていない、この場所は、今回の震災で、住宅のほぼ全てが全壊をしました。

私たち、さんりくフーズは、この湊地区で、三陸の昆布など、豊富な海藻資源を元にした「乾物」を主として取り扱ってまいりました。

あの日、会社の事務員・工員は、全員社内にいました。
これまでに味わったことがない強い揺れに、電気は落ち工場の機能は一時停止しました。

地震の揺れが一旦収まったころ、大津波の警報が響き渡りました。
揺れの激しさから「ただ事ではない」と感じた社長は、仕事を中断させ、社員全員を帰宅させました。
津波は繰り返し押し寄せ、高さは3mを越えたと思われます。
2階建ての会社の1階部分は、津波に飲み込まれ、機械・在庫等は全て流失しました。

社員やパートの大半が、会社の近所に住んでいたため、ほとんどの自宅が津波により全壊をしました。

震災後は、固定電話も携帯電話も繋がらず、社員の無事の確認ができませんでした。
避難所となっている施設を片っ端から回り、伝言を残し、無事を確認していきました。
最終的に、社長以外、全員の無事が確認できました。

社長は、後日別の場所で発見されました。
あの日、全員が会社を出た後、残った社長は、一人で戸締りや火の元の点検をしていたのだと思います。
私たちを守って、最後まで残ってくれた社長は、津波から逃れることができませんでした。

3月15日、初めて魚町などの沿岸部を徒歩で回ってみました。その惨状は、言葉で表せないものでした。
土台しか残っていない水産加工会社は数知れず。大型の漁船が突っ込んでいる建物もあり、全てが泥と瓦礫を被っていました。
私たちの会社もまた酷い状態でした。会社の周辺は住宅地でしたが、そのほとんどが津波で全壊し、基礎しか残っていませんでした。

震災から約2週間後、連絡の取れたスタッフに集まってもらい、
会社の中に残っている貴重品や、販売できる商品の運び出しを始めました。
1階部分は完全に津波で打ち抜かれており、津波が全て持ち去っていましたが、
2階部分は奇跡的に難を逃れ、津波が達しておらず、被害は比較的軽微にすみました。

2階に保管してあった原料は、ほとんど残っており、また、設置されていたパソコンも無事でした。
このパソコンの中には、これまでお取引をしていた会社や、お客様の情報が入っており、
これが無事だったことは復興を考える上で大きな救いとなりました。

また、私たちはもう一つの奇跡に恵まれました。
震災の直前、3月9日に南三陸町で落札をし、買い付けをしていた新モノの「ふのり」「わかめ」の原料が無事だったのです。
震災当日、トラックで石巻の本社に輸送する計画だったのですが、
地震発生時、この原料はトラックでの輸送途中にあったため、津波の難を逃れたのでした。
約1.2トン近い原料が無事だったことは、まさに奇跡としか言いようがありません。

私たち、さんりくフーズの社員やパートのほとんどが自宅を失いました。
みんな、仮設住宅や、家が無事だった親戚の家に身を寄せています。
これまでの生活を復興させるのが、まずは最優先です。

その中でも、自力で通勤できる何人かで、会社の復興を進めています。
市の復興計画で、工場の敷地が削られる素案が出ており、応急的に会社と設備の補修をすることしかできませんが、現在、週1回水曜日だけ工場のラインを稼動させて、三陸の美味しい乾物を製造しています。

最後まで会社を守ろうとして亡くなった先代社長から、会社を引き継いだばかりですが、
今できることをどんどん進めて行き、震災からの復興を頑張って行きたいと思います。