宮城県石巻市 粟野蒲鉾店「希望の笹蒲鉾」

 私たち、粟野蒲鉾店は「笹かまぼこ専門店」として、昭和2年頃から現在の石巻市中央一丁目にお店を構え、商売を営んでまいりました。
宮城県は「蒲鉾の生産量日本一」、「蒲鉾の消費量日本一」として知られますが、特に石巻は、蒲鉾好きが多いことで有名です。
 おかげさまで、地元石巻では、多くの方々にご愛顧いただき、商品は作ったその日に売り切れることも多く、「粟野のかまぼこは午後にはない」との評判もいただいてまいりました。

 石巻の笹蒲鉾は、原材料に「吉次(きんき)」を使用するのが特徴です。近年は、「吉次」の水揚げも少なくなり、価格も高騰しているため、東京などの都市部では高級魚として、目にする機会も少ない魚です。
この「吉次」を使用することで、小田原蒲鉾の持つ「しっかりとした歯応えがあり、魚の旨味が染み出してくる」味わいとはまたひと味違い、「ふかふかとした食感で、あっさりしており、噛むほどに旨味が滲み出てくる」のが石巻の笹蒲鉾特徴です。
私たちの笹かまぼこは、創業から培ってきた伝統の手焼き製法により、ふっくらと焼き上げており、適度な弾力・歯応えと吉次がもたらす旨味が特徴です。原料の吉次に限りがあるため、一日に生産できる笹かまぼこの数は限られています。

 私たちには、石巻中央の本店兼工場と、魚町に原料倉庫がありました。3月11日に発生した東日本大震災による津波は、その両方を襲い、大きな被害をもたらしました。
地震発生直後、私は津波の到来を知らず、店の前の割れたガラスの片づけをしていましたが、しばらくすると、津波警報が鳴り出しました。様子を窺っていると、突然マンホールから水が吹き出したため驚き、これはただ事ではないと、店の2階に逃げました。その直後、津波が襲ってきました。一度目の津波は店の一階を全て飲み込み、2階まで上がってきそうな勢いでした。私たちは恐怖に駆られながら店の屋根まで逃げました。
30分くらい経つと、ようやく津波が引きました。しかし、津波警報はまだ鳴っており、近所の人たちが我先にと山のほうに逃げていくのを目撃しました。私たちも急いで店の屋根から下り、羽黒山のほうに逃げました。山の上には親戚がいましたので、そこに避難させてもらいました。

 地震と津波の襲った翌日、本店の様子を見に戻りました。
石巻中央の本店は2.5mくらいの津波に襲われました。一階は水没し、蒲鉾の機械関係は浮力で持ち上がり流出しました。海水を被った機械は全て故障し、汚染されたため生産が完全にできなくなりました。店の裏手と横の壁が津波により押し破られ、そこから流出した機械もありました。生産を再開できる状態に復旧しようにも、どれだけの時間と労力がかかるのか全く目処がたたず、途方に暮れてしまう状態でした。



魚町の原料倉庫には震災後一ヶ月くらい様子を見に行くこともできませんでした。道は津波によりもたらされた泥で滑り易く、大変危険な状態で、瓦礫や津波で持ち上げられた漁船などが家屋に乗っかっていたりと、とても危険な状態でした。また、魚町は海に面している場所なので「再び津波が来たら…」と考えると、とても見に行く気になれませんでした。

4月半ば頃、魚町の原料倉庫をようやく見に行きました。原料倉庫は5mを超える津波に襲われており、資材や原料が流出していました。冷蔵庫などの設備は海水をかぶり故障し、電気が停まっていたため保管してあったすり身の原料などが腐敗し全てダメになりました。ここの被害は甚大で、復旧の目処は現在でも立っていません。
粟野蒲鉾店にはパートさんも含めた従業員が20名ほどおりましたが、製造再開の目処が全くたたないため、一旦解雇せざるを得ませんでした。
 

 震災から1ヶ月くらいは、今回の津波による被害状況を見ていて再開しようかどうか迷っていました。「また粟野の笹かまを作りたい!」と思ってはいましたが、津波による被害の状況、粟野蒲鉾店がおかれた現実を見ると挫けそうになりました。
 先が見えない中、まずは津波にやられた本店を片付けることから始めました。店内に入り込んだ泥の泥掻き、瓦礫の撤去、破れた壁の補修など、少しずつ片付けていきました。海底から上がってきた泥は油も混じっており臭いが凄まじく、本当に辛くて気が滅入る作業でした。
 まだ、復興に向けて気持ちが挫けてしまうことが多かった中、昔から仲が良かった丸平かつおぶしの阿部社長の復興を頑張っている姿が、非常に励みになりました。丸平かつおぶしさんは工場2階まで水没し、1階の魚加工場が再開不可能な状態でした。しかし、今出来る「かつおぶしの製造」を必死で頑張っていました。丸平かつおぶしさんだけでなく、石巻市内の多くのお店が震災からの復興を頑張っており、その姿に励まされました。
電気は割と早く、震災から一ヵ月後には通りました。しかし、固定電話の基地局が被災してしまったため、8月に入るまで固定電話がつながりませんでした。固定電話が繋がり、これまで粟野の蒲鉾を食べてくださっていたお客様からのたくさんの応援の声を聞かせていただきました。

 「こんなことになって、本当に大変だと思うけど粟野さんの蒲鉾をまた食べれることを楽しみにしています!」
「皆さん無事で本当に良かったです。このまま笹かま作るのをやめないでくださいね」。

 こういったお客様の声は、涙が出るほど嬉しかったです。

 震災後、甚大な被害の中から、再び製造を再開することが出来たのは、9月12日のこと。機械の流出・故障・汚染のため、修理に相当な時間がかかり、半年の歳月を要しました。一旦解雇せざるを得なかった従業員も、ひとまず5名を再雇用することができました。

 9月12日、半年振りにお店を再開した日、多くのお客様がご来店くださいました。夕方には完売してしまい、お客様にご迷惑をおかけしてしまいましたが、こうして多くの地元のお客様が応援くださり、本当にうれしく思いました。

 まだ、復興のスタートに立ったばかりですが、できることを一つ一つ進めて行き、多くのお客様に「粟野の笹かま」を食べていただけるよう頑張って復興していきます。