宮城県石巻市 本田水産「希望の牡蠣」


 私たち、本田水産は、昭和22年創業。創業以来、牡蠣を中心に、三陸の海産物に関わってきました。

 震災前、私たちは「浜市」という産地の牡蠣養殖に力を入れていました。「浜市」は、東松島の鳴瀬川・吉田川の流れ込む海域に位置し、栄養分が豊富なため、短い期間で牡蠣の身が大きく育ちます。
 通常、牡蠣の養殖は、2年かけて育て収穫しますが、浜市では、1年で収穫します。海域の栄養分が豊富なため、わずか1年で、大粒の牡蠣に育つのです。一年子の牡蠣は、二年子に比べて、身が締まり、弾力もよく、非常に美味しい牡蠣になります。
 私たちは、平成7年にこの浜市の牡蠣と出会ってから、この牡蠣にほれ込み、地元の生産者達と共に、浜市での牡蠣養殖の発展に力を注いできました。

 東日本大震災の発生した3月11日、大半の従業員が、渡波の工場内にいました。地震の強い揺れで、工場の地盤が波打ち、ただ事ではないと感じました。長い揺れが一旦収まり、まずは従業員を自宅に帰しました。皆、自分の家族の安否を心配していたからです。

 津波警報は、私たちの工場の周辺では鳴っていなかったように思います。何度か長い揺れが続き、しばらくして津波が来ました。
 ジワジワと波が寄せ、工場は1mくらいの高さまで浸水しました。幸運だったのは、震源から近かったにもかかわらず、大きな波が入ってこなかったことです。工場の建っていた場所がよかったのでしょう。

 工場の被害としては、ちょうど腰丈ほどの浸水で、水没した機械が壊れてダメになる程度で済みましたが、帰宅させた従業員の中には、不運にも津波に巻き込まれてしまった者がおり、5名もの尊い命が奪われました。私たちにとって、何よりもかけがえのないものを失いました。

 私たちの会社の被害もさることながら、「浜市」などの牡蠣養殖産地も甚大な被害に見舞われました。
 沿岸部は、津波の直撃を受けましたので、倉庫が流され、作業場や養殖に必要な道具など、全てが流されました。中には、漁船を全て無くした漁師もいます。
 牡蠣の養殖は、牡蠣をロープに挟み、浮きを付けて、海中に沈めて育てますが、このロープが流されたり、牡蠣が落ちたりして、養殖場も壊滅、収穫が不可能になりました。
 また、三陸沿岸部全域の地盤沈下の影響で、浜の大半が浅瀬になってしまい、漁船の乗り入れさえもできなくなってしまいました。

 育てていた牡蠣や大切な道具など、全てを失い、浜の地形までもが変わってしまう甚大な被害に見舞われた浜市の漁師達の中には、震災を機に引退する人たちが後を絶ちません。
 「生食できる牡蠣の生産量日本一」を誇った三陸の牡蠣養殖は、壊滅的な被害を受けたのです。

 こうした状況の中、震災前に100名程いた従業員は、一旦解雇せざるを得ませんでした。しかし、私には会社をたたむ気は全くありませんでした。それは、私たちがこれまで三陸の浜と共に生きてきたからであり、震災で大変な状態になってしまった浜を、浜の人たちを、今こそ助けて再生させなければならないと思ったからです。

 まずは、工場の復旧を始めました。たくさんのボランティアの方々にお手伝いいただき、工場内に入り込んだ泥の掻き出しや、設備の洗浄を行なうことができました。おかげで、5月中には、工場内のラインを幾つか動かせるほどまで復旧することができました。
 しかし、問題は原料でした。工場を稼動させることができても、作るための原料がありません。震災前、魚町の倉庫にあったものは全て津波で流されてしまい、例年であれば、5月といえば「ホヤ」のシーズンですが、これも牡蠣同様、養殖場ごと全て流されてしまいました。従業員を戻したくても仕事がない状態が続きました。

 このとき、私たちを救ってくれたのが韓国の漁業者達でした。ホヤを食べる文化は韓国にもあります。震災前は、三陸のホヤも、かなりの量が韓国に輸出されていましたが、養殖場が壊滅的な被害を受け、三陸のホヤは、再来年にならなければ収穫ができないのが現状でした。
 韓国からの申し出により、2011年6月末に10t、ホヤを韓国から輸入できることになりました。この殻剥きの仕事をすることで解雇していた従業員の大半を呼び戻すことができ、これが私たちの復興への第一歩となりました。
 

 これからの私たちの復興の中で、最も大きな課題は「浜の再生・復活」です。
 震災前、漁業者の多くは、高齢者でした。津波で全てを失った彼らの大半は、多額の費用をかけ、借金をしてまで、漁師の仕事を続けることは困難であり、多くの漁師たちが引退していきました。しかし、今、彼らの子供たちが浜の再生の意思を受け継ぎ、養殖を再開しています。
 私たちは、彼ら二代目漁師たちの再生への努力を、自分達にできる限り、サポートしようと考えています。

 震災前は、新鮮な牡蠣の美味しさにこだわり、生の牡蠣だけを、お客様にお届けしてきましたが、これでは販売機会も限られてしまいます。
 今は、浜の再生・復活に励む二代目漁師たちのためにも、出来る限りたくさんのお客様に、三陸の美味しい牡蠣をお届けし、食べて頂きたい。もっとたくさんの牡蠣を販売できるように、いつでも美味しい牡蠣を食べていただけるような「牡蠣の加工品」の開発に力を入れています。
 こうしたことで、浜の再生・復活に向けて頑張っている漁師達を支えていければと考えております。