宮城県石巻市 アンジェリーナ「希望のどーなつ」

 
私たち、フランス創作菓子のお店「アンジェリーナ」は、16年前の平成8年、石巻の湊地区にお店をオープンしました。
 当時の湊地区は、水産関係の会社がどんどんでき、それに伴って、人口もどんどん増えていました。一方で、中心街からは少し離れていたために、お店の数は少なく、多くの住民達が不便な生活をしていました。
 湊にお店を出してからは、地域の住民はもちろんのこと、水産関係の会社に、おやつとして使ってもらったりと、湊の地域に密着したお店として、多くのお客様にご利用いただいておりました。

 私たちは、5~6年前から地場の素材を使ってお菓子作りを進めています。例えば、地元のお米を使って作っている「米粉どーなつ」や、地域の農家の作る苺を使ったケーキなどです。
 石巻といえば、豊富な海の幸で有名ですが、実は農業生産にも、非常に力を入れています。これをもっと地域でPRしたかったのです。

 湊店は、地域密着のお店として、本当に多くの地元のお客様に育てていただくことができ、おかげさまで、蛇田にも、2店舗目を出店することができました。

 震災当時、海から最も近かったのが湊店でした。湊店は海岸から数百mしか離れていないため、震災前からも大きな地震が発生した場合は、すぐに近くのヨークベニマルの屋上に逃げるよう従業員に徹底していました。
 地震発生後、家族の安否を確認しに海の方向に向かう従業員もいましたが、津波が到達したときには、全員が無事に避難することができていました。

 しかし、湊店は、無事では済みませんでした。
 震災から10日経ち、初めて湊店に戻ったとき、お店と周囲のあまりの変わりように愕然としました。
 お店の入り口には、流されてきたトラックとコンテナが突っ込んでいました。中は2階の床上まで浸水していました。1階の店舗部分は、どんな力が加わったのか、ショーケースがひっくり返り、マドレーヌなどを置いていた大きな台が浮いてショーケースの上に乗っかっていました。
 湊店は、あまりの被害の大きさに、閉店を余儀なくされました。従業員は一名を除いて、親類のところに身を寄せたり、転勤で別の地域に移ってしまいました。

 また、蛇田店では、津波の被害こそありませんでしたが、地震で工場の床に大きなヒビが入ったり、物が落ちて壊れたりしました。しかし、一番大変だったのは、ライフラインが止まったことでした。冷蔵庫が効かないので、作ったスイーツから原料など、全てがダメになってしまいました。

 震災直後は、とにかく新たにモノを作るような状況ではなく、冷蔵庫の中に残っていたスイーツや焼菓子などを、避難所に持っていったり、店前で配ったりしました。
 蛇田店の従業員の中にも、自宅がひどい状態になっている者も多く、しばらくは自宅と工場を行ったりきたりしながら、清掃や片づけをしていました。

 蛇田地区のライフラインの復旧は意外と早く、1週間くらいで戻りました。工場もなんとか片づけが終っていましたが、原料が入ってくる見込みが全く立っておらず、どうしようかと思案していました。
 ちょうどその頃、周辺のお店が全く開いていなかったため、地域住民の方々から「パンが食べたいから作って欲しい」というご要望をいただくことが多くなってきました。私たちは、洋菓子屋でしたので、あんぱんやクリームパンなどの菓子パンしか作れませんでしたが、作れるものは何とか作って販売をしました。これは、お客様たちから本当に喜ばれ、災害という危機的な状況の中で、自分たちが地域のお店として、何を考え、行動するべきか、学んだ気がしました。

 2011年3月29日、蛇田のお店は、再オープンしました。
 被害が酷く、まだ復旧の目処が立っていない同業者はたくさんいました。そういった仲間たちに対して、自分たちだけが、先にオープンすることを申し訳ないと思いましたし、沿岸部で津波により甚大な被害にあっている企業・人のことを思うと、今はそういった地域への救済に赴くべきじゃないかとも思いました。
 しかし、生き残った地域の企業として、私たちが今すべきことは、「震災のストレスで苦しんでいる地域の方々の思いを汲み取り、美味しいものを届し、少しでも心やすらいでもらうこと」と信じ、現在もお店を続けております。

 いずれは、アンジェリーナを応援し、育ててくれた湊にもう一度お店を再建し、地域の皆さんに、もう一度私たちのスイーツをお届けしたいと思っています。
 震災の影響で、住民がバラバラになってしまっている湊地区ですが、皆が再び集まって、活気ある街を取り戻せることを願っています。