宮城県東松島市 のり工房矢本「希望の海苔」

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宮城県東松島市大曲。
東日本大震災により、壊滅的な被害を受け、人口1,500人ほどのこの町で、死者行方不明者の数は280人を超えた。住人の5人に1人が亡くなった。
大曲地区は、現在居住禁止区域に指定されている。震災から1年以上が経過した現在でも、崩れた家屋が残り、瓦礫の撤去も実施されていない。震災直後のまま、時計は止まっている。
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 震災から1ヶ月が過ぎた頃、ようやく戻ることの出来た自宅のあった場所。自宅は基礎だけ残して、どこかに流されていました。
あとから、二階部分が数百m行った先にある田んぼの中に落ちていることがわかり、荷物を引き取りに行きました。周辺からは、工房の機械の残骸と、写真が幾つか、そして泥の中からはトロフィーが見つかりました。発見したのは、海苔養殖の漁師をやっていた私の夫でした。奇跡的に発見されたこのトロフィーを見たとき、「海苔を作れ」ってことなんだと感じたそうです。
このトロフィーは、60年以上前から毎年、宮城県の塩釜神社で行われる「乾海苔品評会」で、震災の2ヶ月前、2011年1月に優勝した際に頂いたトロフィーでした。この品評会で優勝・準優勝をした海苔は、神社の宮司さんと共に皇室に献上に行く、という由緒正しい品評会です。

 海苔の産地というと、佐賀、福岡、熊本、三重、千葉などが有名ですが、宮城県も知る人ぞ知る、美味しい海苔の養殖地です。栄養豊富な海に恵まれており、近年養殖技術もどんどんと向上し、美味しい海苔を作り出していました。
その中でも、宮城県漁協矢本支所の大曲浜で生産される海苔は、60回以上を数える塩釜神社の「乾海苔品評会」の中で、実に10回以上も優勝・準優勝を頂いてきました。震災前の2011年まで、6年連続で皇室に献上されていました。

 大曲浜の海苔が選ばれてきたのには、2つの特徴があります。
1つは、「柔らかく口どけの良い海苔」に仕上げるため、手間を惜しまず作っていること。通常海苔の養殖は、網を1回変える二期作で、二期の間に1つの網から十数回海苔を摘み取ります。摘み取りのたびに、海苔の細胞壁は厚くなりますので、柔らかさが落ちることが多いのです。一方で、大曲浜の海苔は網を2回変える三期作で、一期の間に1つの網から摘み取る回数を少なくしています。そのため、常に「柔らかく口どけの良い海苔」が出来上がるのです。
もう1つは、漁師が毎年違う場所で養殖を受け持つ「輪番制」を採用しているので、養殖の腕が磨かれることです。漁師同士、お互いに競争をし、工夫をすることが、評価の高い海苔の生産に結び付いていました。

 私たち、のり工房矢本は、そんな海苔養殖をやっている漁師たちの嫁が集まって2010年に作りました。大曲の漁師は、海苔だけを専門にしています。普通、定置網などの漁業と併設して海苔の養殖をやっている漁師が多いので、珍しいパターンです。
海苔の養殖は、冬季が仕事のメインで、夏季には手があきます。夏場に安定した収入を作るため、また自分たちの作っている海苔を、自分たちの手でお客様の手に届けたいがため、のり工房矢本を作りました。
震災前、のり工房矢本のみんなで有明に視察に行き、海苔を使った商品の数々に驚き、自社商品にも生かすよう勉強もしていました。みんなが、大曲浜の海苔のこれからに期待を膨らませている矢先の出来事でした。

  3月11日、地震が発生した時、私たちは大曲浜の工房で製造作業の最中でした。地震はあまりに強烈で、長時間に及びました。一旦収まった後、これはただ事ではないと思い、工房にいた全員でとにかく高台へと逃げました。昔から漁師たちの間では、地震が起こったらすぐに高台に逃げるように言われていました。

 地震発生直後から、電気・ガス・水道は止まり、テレビの音や工場の機械の音など、全てが止まっていました。工房から外に出ると、周辺の住民が騒ぎながら出てくるかと思っていましたが、外に出てくる人はおらず、異様なほどの静けさに包まれていたのを覚えています。

 私たちは、幸いにといったら言いのでしょうか、津波を見ていません。津波が来る前に高台に避難してしまったので。しかし、大曲地区の大半の人達は、逃げなかったそうです。大曲の住人の4人に1人が亡くなっています。一家全滅どころか、親戚までことごとく全滅している家も少なくありません。
漁師達も、大半は全てを捨てて高台に逃げましたが、中には浜に戻って津波に巻き込まれ、亡くなられた方もいらっしゃいます。

 震災から約2ヶ月経ち、ようやく大曲の自宅に戻りました。そこにはもう以前の記憶にある大曲の光景はありませんでした。
私たちの工房や自宅の被害もさることながら、漁師達の受けた被害はもっと「甚大」でした。
20軒の漁師たちが持っていた150艘ほどの漁船のうち、無事に残ったのはたった2艘だけでした。他は全て陸地に押し流されてダメになるか、津波によって、沖の遙か彼方に持っていかれました。養殖の道具も、全て流されました。養殖の道具は、長い日数をかけて、漁師達が手作りしてきたものがほとんどです。それが一瞬で失われました。

 震災の時は、丁度新海苔の摘み取りシーズンでした。先に摘んで倉庫に保管してあった海苔は全て流されました。これから摘もうとしていた養殖の網は、全て流されました。海底には、津波によって引き込まれたごみが溢れ、このままでは養殖を再開することは不可能です。事実上、皇室御献上の浜はなくなってしまったのです。
被害は甚大ですが、何よりも私たちが心配したのが、「せっかく震災前に頑張って育ててきた東松島の海苔が、廃れてしまうこと」でした。漁師達から工房のみんなまで、今まで頑張って美味しい海苔を作り、育ててきたのに、このままお客様に東松島の海苔を提供することができなければ忘れ去られてしまいます。

 そんな中、一つの朗報が入りました。震災前、渡波の海苔加工会社さんに焼き海苔の加工を委託しており、丁度震災当日に引き取りに行く予定だった海苔が、ワゴン車の荷台に積まれていたため、無事だったのです。「全て無くなってしまった」と思っていた中で、一部でも「皇室御献上の浜」の海苔が無事だったことは、すごい奇跡だと思いました。

 まずはこの海苔の販売を再開しました。
そして、一度市場に出て、被災を免れた大曲浜の海苔を買い戻し、自分たちの手で加工をして、販売を続けてきました。
おかげさまで、次第に注文数も増えていきましたが、仮設の工場を作ったりするほどの資金もありません。どこかいいところはないか探していたところ、東松島市から、小学校の学童保育用に建てられたプレハブが使われずに残っているのでどうか、というお話をいただきました。大曲浜から数百mの位置にあり、大きさも十分でした。
2011年11月に移転し、機械を入れて、今はそこで「美味しい海苔作り」をしています。

 のり工房 矢本HP   www.norikoubou-yamoto.com
 Facebookページ    http://www.facebook.com/yamoto.nori
 大曲浜漁師HP     http://ohmagarihama.jimdo.com